2014年2月24日月曜日

今更ながら、2月2日の言い訳、、

約1.8m×3,2mの力作


 2月2日の研究会を休んでごめんなさい。『浪速お化髪パーティー(なにわおばけぱーてぃー)』にいっておりました。タンスに眠っている着物に光を!みたいなイベントです。伝統芸能みたり、生國魂神社(いくたまじんじゃ)の芸能の神様におまいりしたり、最後はこんな感じ↓↓↓



N氏すまぬ。女子っすm(__)m


#2-1「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」1887年3月6日〜1887年4月3日

「冬は早朝。」
通勤途中の朝日がきれいだったので、思わずパシャリッ!今年の冬は例年より寒いみたいですが、スーツ+マフラーのみでいまのところ乗り切ってます。


 前回(2/16_sun)の研究会では、サリバン先生の教育課程を概念規定し、それに基づいて教育の初期段階を整理しました。
(このレポートは、1991年9月36版刊の書籍を用いており、ページ番号等はこれに準じます。)

◉ ◯ 

 『1887年3月6日〜1887年4月3日 − 躾(しつけ)と美しい知性との狭間 −』

 サリバン先生によるヘレンの教育において、はじめに彼女の心身の状態を把握することは重要なことでした。身体的には体格が良く活気にあふれていましたが、「してもいいこと、してはいけないこと」のような分別が著しく欠けていました。いままで家の人たちは、彼女が思いのままにふるまうのをいつも許してきたのです。そのため、髪を結んだり、手を洗ったり、靴のボタンをかけたりする、ごくごく簡単なことをさせるにも、力づくでしなければなりませんでした。ヘレンの判断基準は、ただ自分がやりたいかやりたくないかだけでした。(以下、本文より抜粋)


 私が教えることのできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小さな女性と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやることでしょう。(p.19)

 私の仕事を進めるには、その前にヘレンが私を信頼し、服従することを学ぶ必要があるからです。(p.22)

 
 ヘレンの教育において、スタートラインにすら立っていない現実を突きつけられ、「つたみどりの家」で二人暮らしを始めることにしました(アラバマ州タスカンビア 1887年3月11日)。ここでの生活は、知性や理性とはほど遠い、力と忍耐での駆け引きであり、言うなれば、教育より前段階の『躾(しつけ)の期間』でした。そして、ヘレンが大きく変わったことは「1887年3月20日」に記されています。服従と言う最初の教訓を学び、出会った頃の魂のない表情から、はれやかで幸福そうな顔付きになりやさしい子どもに変わりました。(以下、本文より抜粋)


 この子どもの心のなかで動きはじめている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。(p.26)


 教育課程において最大の障害を越え、サリバン先生はヘレンの知性を改めて刺激しはじめました。つまり、『美しい知性を方向づける期間』と言えます。単語を早く正確に綴れたご褒美のケーキを与える際に、ナプキンのテーブルマナーを教えたのもそのひとつです。ただ、この段階では庭で過ごすこと、ビーズ通しや裁縫をすること、友達に会いに行くことなどのようなフィールドワーク(もしくは、遊び)が主題であり、その折ににふれて単語を綴ります。ヘレンは綴りを理解していなくとも、機会を逃さず物事を教えることが美しい知性の方向づけにつながるのです。

◯ ◉ 

 今回、「1887年3月6日」〜「1887年3月13日」を『躾の期間』、「1887年3月20日」〜「1887年4月3日」を『美しい知性を方向づける期間』と分けました。
 『躾の期間』としましたが、実際には、本文中で良く用いられる「服従」の方が意味としては近しいものです。サリバン先生は、ヘレンに対して「普通とは異なる方法」かつ「短気間で行う」と言う前提で二人の生活を試みました。彼女自身、はじめは時間をかけて行うつもりでしたが、これはヘレンの現状をふまえたサリバン先生の判断でした。その結果、「1887年3月13日」には何のいさかいも起こさなくなり、7年間達せられなかったことがおよそ2週間で躾(または、服従)を終えたのです。これはあくまでも、教育することを念頭に置き、その準備として実施された方法でした。
 『知性を方向づける期間』でなく、『美しい知性を方向づける期間』とするのか。これは、経験にも即した知性であること、つまり感受性や創造性をも高めるという意を込めて「美しい」とつけました。春の息吹に身を置き、新しいビーズの組み合わせを考え、人形遊びをし、友達と笑い、おいしいお菓子を食べる。これらすべてが、意味あることとなります。神経質でなく、快活であるのはヘレンの天性でありますが、本書の表紙のようなにこやかな笑顔になるのは、これらの経験があってこそのものであります。また、この準備期間も2週間程度で終え、知の好奇心を花開かせることとなります。

2014年1月31日金曜日

とりあえず、、

 
今年の年賀状です。

 とりあえず、
「あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。」
って、1月中といっても滑り込みにも限度があります、か?


 とりあえず、、「息してます。」
前回のブログも中途半端。長らく更新していなかったので、生存確認のためにも久方ぶりにアップすることにしました。ほんと、この5ヶ月間は、「ただ、息してます。」のような自信もやる気も起きない『暗黒史 in my life』みたいな日々でした。
※頭もお休みしていたので、表現や語彙力の著しい低下が上の文章からも読みとれます、か?


 あらためて、、、「研究会に参加します、宣言。」
近くにあるとありがたさを感じにくい、遠くにいってしまうと自分の生きる価値さえ見いだせない。研究会は私にとってまさに、そのような存在です、よ!!!
ちなみに、明後日、2/2(日)の研究会は別の予定があるので欠席します★☆
.......................................................................って、いきなり休むのかよ。


 「なんとなく」、「赴くままに」。
昨年、訪れていただいたすべての方に感謝し、2014年、とくになにも変わらないこの小さな「あずまや、、」をどうぞよろしくお願いします。


2013年9月7日土曜日

#1-1『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』1887年3月6日


最近、華やかなことが続いたので、たまには勉強しないとおこられる。
レポートの際にはタイトルに『#1(第◯回目のレポート)− 1(修正回数)』としていきます。それでは添削をうけまして、、

Buckets* Garage
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III) を受けて

◯ ◯ ◯




note...

  • 教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は』何でもこわしてしまいます。(p.14)
  • 他人の皿に手を突っ込み、勝手にとって食べ、料理の皿がまわってくると、手づかみで何でもほしい物をとります。(p.18)
  • ナプキンをたたませるのに成功するまで、それからまた一時間もかかりました。(p.19)
  • ★私が教えることのできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小さな女性と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやることでしょう。(p.19)
  • 家の人たちは、彼女が思いのままにふるまうのをいつも許してきたのです。(p.19−20)
  • ★私がこちらに来るまでは、兄のジェイムズ以外、誰も本気で彼女の意思に逆らおうとはしませんでした。(p.20)
  • ごくごく簡単なことをさせるにも、力づくでしなければなりませんでした。(p.20)
  • ★服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました。(p.21)
  • ですから、彼女の愛情や思いやりや他人の賞賛を喜ぶ子供らしい心に訴えるすべてが一つもありませんでした。(p.21)
  • ★そういうわけで、私たちは一つの課題のために学習し、計画し、準備をしますが、いざ事をはこぶ段になると、あれほどの骨折りとほこりを持って追求した方法が、この場合にはふさわしくないことに気がつくことがあります。そこで、そうなると、私たちは心のなかにある何かか、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を頼りにするほかありません。(p.21)
  • つかみ合いは二時間ばかり続きました。私は子どもにこれほどの力と忍耐があろうとは思ってもみませんでした。(p.23)
  • ヘレンが人形と遊ぶのをみていると、おもしろくもありまたかわいそうでもありました。私は彼女が特別に人形が好きだとは思いません。(p.24)
  • ★この小さな野蛮人は、服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づきました。(p.26)
  • というのは、ヘレンが犬の首に腕をまわし、抱きしめたからです。(p.28)
  • 私はケラー大尉とケラー夫人にどんなことがあっても私に干渉しないでくださいと言いました。私は何でもヘレンの思いどおりにさせておくことが、まったく彼女のためにならないことをおふたりにわかっていただくために全力を尽くしました。また、すべてが寿分の思うままになるはずがないことを子どもに教える家庭は、子どもにとってもまた教師にとっても苦しいものになりがちだということを指摘しました。(p.29)
  • あなたは、彼女が非常に賢いことがきっとおわかりになるでしょう。でも、彼女がどんなに可愛いかはおわかりにならないでしょう。(p.29−30)
  • ★彼女は、すべてのものは名前をもっていることと、指文字が自分が知りたいすべてのことの手がかりになるということを学んだのです。(p.34)
  • 「普通の子どもはどのようにして言葉を覚えるのだろうか」と自問しました。答えは簡単でした。つまり「模倣によって」です。(p.36)
  • もちろん、これは「赤ちゃんは歯がないためにないので食べられない」という意味です。(p.40)
  • ことばが思考を生むということは何てすばらしいことでしょう!(p.46)
  • ヘレンはこれらの動作をまねて、何回かくりかえした後、とまどった表情を浮かべてしばらくじっとしていましたが、急に表情が明るくなって、今度は、「良いこのヘレン(Good Helen)」と綴って、顔いっぱいに大きなつくりわらいをしました。それから、彼女は人形を二階に持って行って、洋服ダンスの一番上の棚にのせ、その後は全然さわろうとしませんでした。(p.48−49)


近況報告、、『家族が ふえました。』

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 以上。

夏の終わりに、、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 より

2013年9月3日火曜日

あおぞら日記、、『お昼ね...のふり』

近所の猫ちゃん♀

 「ふぁああ(あくび)、研究会のレーポート出したしお昼ねしようかなあ。」と思っていると、もうレポート添削のメールが届いている!なんと言う素早さ。
ありがたや、ありがたや。

◎ ◯

 ドラッグストアにいった帰り道、生きのいいお供え物を発見しました。
「こういうのって、触りにいったら逃げちゃうんだよね。」

少し距離をおいて待っていると彼女から近づいてきました。

「なんか食べ物持ってないの?」

 この自由で、たくましい姿はどこかでみたような...あっ、近くにいるチャリダー(旅で自転車に乗る...強固な人)のすがたではないでしょうか。

◯ ◎

 ヒトでも動物でも同じように、心地いい距離感があるみたいですね。(ムクドリみたいにずっと、おしくらまんじゅうしているのもいるけど。)こういうときは、ただ近くでたたずむのが一番。興味があれば相手から寄ってきます。あなたも知らない人に突然さわられそうになったら逃げますよね。
 ただ、病気を持ってたり、気の荒い子もいるのでできればそっとしておいてあげて。

「やっぱり、ここが一番だね!」


夏の終わりに、、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

http://www.anohana.jp さんよりお借りしました。

 「今年の夏は汗もいっぱいかいたし、涙で残りのデトックスをすべて出そうかな」という思いで映画鑑賞にいって参りました。去年、友人から『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(通称:あの花)』のテレビシリーズを教えてもらい、素直に感動し、泣いてしまいました。
 泣くという構造とは、本来生まr.....。まあ、今回は私の心の奥底を揺さぶってくれたということにしておきましょ。

◎ ◯

 幼いころ何をするにも一緒であった6人、『超平和バスターズ』。

 しかし、めんま(本間芽衣子)の事故をきっかけに、

 心は、だんだん離れていってしまった。

 
 月日が流れたある夏の日、成長しためんまが現れた。

 ただ、ひとつの願いを叶えるために...




◯ ◎

 テレビシリーズを見てから映画を見ると、より楽しめると思いますよ。先入観なしで童心に戻ってくださいね。あと、生まれてはじめて映画のパンフレットを購入してしまいました。ついでに、****も買ってしまいました。まあ、後日談として報告します。


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